星たび

金山巨石群 ミステリーガイド

岐阜県下呂市にある金山巨石群・岩屋岩蔭遺跡は、古代の叡智と宇宙の神秘に触れる場所です。 このページは、少人数のお客様を案内するため、スマートフォン対応の資料です。

〜古代の叡智と宇宙の神秘に触れる、驚きと感動の旅〜

金山巨石群は、単なる奇岩の集まりではありません。古代の人々は、この地に巨大な石を巧みに配置することで、太陽の動きを精密に観測する、巨大な天文台を作り上げたのです。
高く尖った巨石、寄り添うように並ぶ巨岩…それぞれの石が持つ独特の形状と配置は、 大地のエネルギーを凝縮させ、訪れる者に特別な感覚を与えると言われています。

岐阜県下呂市の金山巨石群・岩屋岩蔭遺跡に秘められた、時空を超えた壮大なミステリー

朝日射す黄金色の巨石、夕日輝く幻想的な巨石。 耳を澄ませば、巨石の間を擦り抜ける風の音、石の手触り、せせらぎの流れ、鳥のさえずり、木々のざわめき、太古の息吹が聞こえるかもしれません。

岩屋岩蔭遺跡の狒々退治と義平の悲劇

〜伝説と史実が交錯する、悲しくも勇ましい物語〜

岩屋岩蔭遺跡には、狒々退治の伝説が語り継がれています。 平安時代末期、源義朝の庶長子である悪源太義平が、この地に逃れ、人身御供の娘の身代わりに狒々を退治したというのです。 この伝説が、遺跡が史跡として指定されるきっかけとなりました。
しかし、歴史を紐解くと、義平の辿った道は伝説とは異なります。 平治の乱で敗れた義平は、東国へ向かう途中、父の死を知り、仇討ちのために京へと引き返しました。 そして、無念の最期を遂げます。
狒々退治の真偽は定かではありませんが、この地が悲劇の英雄・源義平と結びついた場所であることは確かです。 伝説と史実が織りなす物語に、思いを馳せてみましょう。

神が見た星空

〜7500年前、縄文時代のメッセージ? 逆向きに刻まれた北斗七星の謎〜

夜空を見上げれば、誰もが知る北斗七星。 しかし、岩屋岩蔭遺跡の岩壁に刻まれたそれは、私たちが見慣れた形とは逆向きに存在します。 なぜ、古代の人々は逆向きに星を刻んだのでしょうか?

天文シミュレーションと古代の宇宙観から、驚くべき仮説が浮かび上がります。 それは、「神の視点」という考え方。 古代の人々は、天球の外側に神々の世界があり、 神々が星空を見る形は、私たちが見る形と裏返しだと考えていたのかもしれません。

歳差運動という地球の自転軸の動きを考慮すると、この逆向きの北斗七星が、約7500年前の星空を映し出している可能性が高いのです。 悠久の時を超え、古代人が神に捧げたメッセージが、今、私たちの目の前に現れようとしています。

神秘の三角形と古代の暦

〜8000年前の数学? 太陽の光が示す驚愕の真実〜

岩屋岩蔭遺跡の巨石の隙間を縫って差し込む太陽の光。その光が、特定の日に測定石の先端を照らす時、 驚くべき事実が明らかになりました。光線の角度と距離を計測した結果、そこには正確な3:4:5の直角三角形が存在していたのです。

これは、ピタゴラスの定理として知られる数学的な法則。 8000年前の縄文人が、この定理を知っていたのでしょうか? 偶然の一致ではありえないほどの精度に、古代人の高度な知識と技術を感じざるを得ません。
さらに、測定石に当たる太陽光のずれを観測することで、古代の閏年の配置が明らかになりつつあります。 それは、現代の暦とは異なる、33年で8回の閏年を置くという独特な方法だった可能性があるのです。 太陽の動きを精密に観測し、暦として利用していた古代人の知恵に、深く感銘を受けるでしょう。

石に刻まれた巨石パワ−

巨石群の残留磁気を調査したところ、岩石が作られた場所から移動してバラバラの方向を示していました。これは何を意味するのでしょうか。

〜古代人が感じた、巨石のエネルギーとは?〜

金山巨石群に足を踏み入れると、巨大な岩々が織りなす独特の景観に圧倒されます。 これらの巨石は、単なる自然の造形物ではありません。 古代の人々は、これらの石に特別な力、「巨石パワー」を感じていたのではないでしょうか。

金山巨石群は、古代の太陽観測施設としての機能を持っていたと考えられています。
春分、夏至、秋分、冬至といった季節の変わり目に、巨石の間や隙間から太陽光が差し込むように設計されています。 古代の人々は、1年の暦を知ることができ、太陽のスポット光のわずかなずれで4年に一度のうるう年を観測することができたとと考えられています。

太陽アナレンマに示す、二十四節気の中気(雨水・春分・穀雨・小満・夏至・大暑・処暑・秋分・霜降・小雪・冬至・大寒)の日に、 金山巨石群では太陽観測ができます。