金山巨石群の岩屋岩蔭遺跡には逆向きの北斗七星が刻まれている。 北天の歳差運動をシミュレーションをしたところ、7500年前の北斗七星を反転した形で写していることがわかり、 星図を重ねると巨石の先端は天の北極を示していた。
![]() 発見前の岩屋岩蔭遺跡E石の東面(2009/3/20) |
![]() 岩屋岩蔭遺跡E石の東面に発見された北斗七星。β星は落石に隠れている。(2012/7/22) |
岐阜県下呂市金山町岩瀬の金山巨石群に、
巨石に刻まれた北斗七星の痕跡がある。
金山巨石群の3つの巨石群のうち岩屋岩蔭遺跡を構成する
E石の石面に刻まれた盃状穴が北斗七星を形作っている。
巨石面に北斗七星を見つけたのはドイツ人考古学者のステファン・メーダー氏。 次いで2011年2月に 金山巨石群調査資料室によって 岩屋岩蔭遺跡の E石と呼ばれる巨石の東面に刻まれた九つの穴(盃状穴)のうち 七つに点灯したところ、反転した北斗七星が確認された。
発見前の写真と発見後の写真を右に示す。北斗七星をよく見つけたものと思う。
さらに、メーダー氏の説は、巨石に刻まれた北斗七星から古代の人が関わった年代を推定した。これは画期的なことと思えた。
「AERA(アエラ)2010/06/21号」に掲載された『我が国「最強最古」のパワースポット』によると、 「メーダー氏は、巨石の他のくぼみとの関係から、紀元前2800年頃の北極星トゥバン を当時の人が見つける手がかりにしていたのでは、」 とコメントしている。
紀元前2800年の北斗七星は、歳差運動で最も天の北極に近づいた頃だ。
調べてみると、ζ星ミザールと天の北極の角距離は約10度に近づく。
北斗七星はよく見えたと思うが、金山巨石群ではどうだろう。
北斗七星のα星ドゥベからη星アルカイドまで約25度と長い。
天の北極より上側で水平になるときはいいが、日周運動で周回する北斗七星を考えると、金山巨石群ではシミュレーションの結果は意外であった。
金山巨石群の現地では背後に山がある。
山や立木が視野の障害となり、北斗七星が傾くと、7つの星が全部見られるという期間または時間は案外少ない。
紀元前2800年の頃、観測条件のよくない北斗七星を指標にする期間は短いのだ。
岩屋岩蔭遺跡の巨石面に刻まれた北斗七星は、
おそらく紀元前2800年よりもっと前の時代に、もっと見やすい北斗七星で「天の北極」を見つける手がかりに使われていたのだろう。
その時代は、いつだったのか。
![]() 天の北極は歳差円を約25,800年で周回する。 |
![]() 画像ををクリック↑ すると、2万6000年前から現在まで北斗七星の歳差運動が拡大して見られます。 |
![]() BC5500年の北天の星図と上下反転した星図。反転図は巨石の北斗七星の角度と形がよく似ている。 |
歳差運動による北斗七星の動きを追ってみれば謎が解けるかもしれない。
そう考えたものの、天文シミュレーションを使って、歳差運動による北斗七星の動きを見るには単純ではなかった。
手間がかかったが、やっとアニメーションで動きを見ることができた。
北斗七星の7つの星は今から1万8000年前(BC16000)は極から最も離れて天頂より南を通過する出没星であった。 「北斗」ではなかったのだ。
1万3000年前頃から柄杓の柄を下げて天の北極に近づき始め、1万1000年前頃にζ星ミザールは周極星になる。
α星ドゥベまでが周極星になるのは8000年前まで待たなければならない。
この(BC6000年)頃には「北斗」の杓を遠く柄を天の北極に近くして立ち上がるように天の北極を指し示す。
7500年前頃、天の北極には、うしかい座に属する暗い6等星が角距離2度にあるが、北極星となる輝星は無い。
おそらくζ星ミザール(2.2等星)からりゅう座ι星エダシク(3.3等星)を使って方向と角距離から天の北極を見極めたのではないだろうか。
その後BC3400年頃、天の北極にミザールは角距離10度まで近づき、離れていく。 BC2800年頃、りゅう座α星トゥバン(3.7等星)は天の北極に1.8度まで近づき、また離れていく。 その後北斗七星は、柄を天の北極から離しながら遠ざかっていき、現在の北斗七星になる。
石面にある盃状穴のうち、北斗七星の柄の先から2番目のζ星ミザールの真上にE石の頂部がある。
天文シミュレーションソフトで、ミザールが
子午線を通過するときに、
天の北極はミザールの真下にあるから、連続して2万6000年追えば、北斗七星の角度と距離は変化する。
画像を上下反転して、北斗七星のサイズを合わせ、石面の北斗七星の角度を合わせながら、E石の先端に天の北極が重なるときを探す。
こうして見つけたのが、BC6000年とBC5000年の北天の星図を反転した図である。
更に細部を合わせて、これより年代が離れると画像と星図を合わせることは困難になるのを確認して、最も近いと思われる、
今から7500年前(BC5500年)の北天の星図を選択した。
岩屋岩蔭遺跡E石の石面に刻まれた北斗七星は、
今から7500年前の天空の北斗七星を写していた。
反転した図を写真に重ねると下の画像を得た。 E石の先端に、天の北極の×印がある。 細部に誤差はあるがピタリと一致をした。
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今回の岩屋岩蔭遺跡の巨石に刻まれた北斗七星の年代推定については、 一般の天文シミュレータながら天文考古学で高い信頼度のある アストロアーツ社のステラナビゲータを使用した。 歴史年代の推定は、卑弥呼の日食で実例があるが、 文献の無い先史時代については類例を承知しない。
シミュレーションによって、天空の北斗七星を反転した姿が石面の北斗七星だった。
加えて、天の北極の位置が巨石の頂部にピタリと一致するという驚くべき結果であった。
おそらく、巨石の頂部には古代の人にとって特別の意味がありそうに思える。
金山町教育委員会は平成13年(2001年)に岩屋岩蔭遺跡の発掘調査を行い、
縄文時代早期の
押型文土器片が見つけている。
土器片は8000年前と推定されているが、報告書には層序と(土器編年で)沢式とあるから"約"が付く8000年前と読める。
今回の天文シミュレーションによって導き出した年代は7500年前である。これも写真合成で数百年の幅がある。
この差をどうみるか。判断は読者に委ねたい。
発掘調査では、古代の天文観測に関する事は何も無かったとの報告だが、土の中ではなく「地上の星」を見つけられなかったのだ。 注意願いたいのは、ロマンやいわゆる超古代文明論とは違い、シミュレーションなどを使用した科学的な結論である。