日の出・日の入りの、太陽の方位は数千年の間動いていないのか?
その疑問は、岐阜県下呂市にある縄文時代の天文台といわれる金山巨石群に、
冬至の日の入りの光が、巨石のV字形隙間の下端に見える場所に由来する。
不思議なことにその巨石が少しずらしたのではと思うような跡がある。
縄文時代の冬至の日の入りの方向は僅かでも今とは違っていたのではないだろうか?。
著者は、天文シミュレーションソフト「ステラナビゲータ」を用いて、検証を試みる。
そして検証は、夏至の日の出方向が確実で、建造物の立体情報をネットで取得できるストーンヘンジに移った。
この検証方法は、
日本天文考古学会学会 J-AASJ誌1号の論文に掲載している。
今回、夏至と冬至の観測と解析をさらに詳細に追求して、
同誌5号に論文「ストーンヘンジにおける夏至と冬至のシミュレーション」を発表した。
そこで、まず夏至の太陽の動きをシミュレーションするために、Google Earthの立体画像を使って現地の風景のなかで検証を試みた。
シミュレーションの方法は、
- シミュレーションの設定日時は、考古学データを基にして建造時期を年表に整理する。
(詳しくは、日本天文考古学会学会 J-AASJ誌5号を参照)
- Google マップでストーンヘンジの位置の座標を確認し、航空写真とネットの測量図を合成して、ストーンヘンジの平面配置図を作成する。
- Google Earthでストーンヘンジの3D画像から、座標と方位で360°パノラマ画像を作成する。
もし現地に行くことができれば360°写真を撮れるのだが、現地調査をしなくても、ネットのデータとパソコンがあれば、相当の調査は可能になっている。
- 天文シミュレーションソフト「ステラナビゲータ」にパノラマ画像を取り込む。
こうしてシミュレーションの天文データから日時を決定し、夏至の日の出を再現しようとした。
夏至の日の出を天文シミュレーションで再現
ストーンヘンジ紀元前2600年の夏至の日の出。第2のヒールストーンがあったのか?
謎を解くために地道で正確な調査とシミュレーション
シミュレーションに入力する設定年代は、ストーンヘンジの構造と建設の順序を考古学データから整理する必要があった。
- ストーンサークルの外側に環状の土塁と堀が囲んでいる。最初は円環状の墓地として造られている。建造されたのは紀元前3100年頃となっている。
- 夏至の日に、高さ6メートルの玄武岩でできたヒールストーンと中心の祭壇石を結ぶ直線方向に太陽が昇る。ヒールストーンが建造されたのは紀元前2600年頃。
- 環状列石サーセンサークルは、直径約33メートルの円形に、高さ4〜5メートルの立石30個の立石が配置され、上部に横石が円環状に梁渡しされているのが一部残っている。建造されたのは紀元前2500年以降。
- トリリトンは、高さ約7メートルの門形の直立巨石が5組配置されている。建造されたのは紀元前2440年頃。
ストーンヘンジ紀元前2500年の夏至の日の出
4500年の時を超えて蘇る、古代文明の驚異的な天文技術!
建設の年代を整理すると、紀元前2500年(日本では縄文時代中期)頃に、環状列石サーセンサークルの建造が始まったと推定できる。
この条件で360°風景をステラナビゲータにセットして、ストーンヘンジの中心にある祭壇石付近からヒールストーンの方を見た夏至の日の出をシミュレーションした。
その結果は、画像のとおり、ピタリとヒールストーンの背後に太陽が昇った。これは相当精度の高い測量と設計技術があることがわかる。
ヒールストーンの方向を基準に、4500年の時を経て現在の日の出方向と比較すれば、日の出の方位が移動したのかがわかる。
夏至の日の出方位は建造初期から現在までに変わったのか?
ストーンヘンジ紀元前2500年(中央)と現在(右)の夏至の日の出。
太陽の動きは、数千年でどのように変化したのか?
夏至の日の出方位は移動したことがなく一定なのか?
シミュレーションを同じ条件で、建造初期の紀元前2500年と現在。それぞれ夏至の日の出を再現したところ、現在の太陽はヒールストーンの右側約1度を通過していた。
これは4500年の間に日の出の方向が右へ移動していたことになる。
シミュレーションでは、紀元前3100年の墓地として造られた頃から、祭壇石とヒールストーンが置かれた紀元前2600年頃などを再現した。
- 紀元前2500年頃:環状列石の中心付近に座って観測し、右のヒールストーンの背後から夏至の日の出を観測。
- 現在:ヒールストーンから右に約1度ずれている。観測者が立ち上がればヒールストーン方向と太陽は一致。
その結果、日の出の方位の移動は、ストーンヘンジの建造前から少しずつ徐々に移動していたことがわかった。
現在の夏至の日の出を中央に見ると、紀元前2500年は左に寄る。
ストーンヘンジの建造者は夏至の日の出をどう観測するように設計したのか?
現在のサーセンサークル中心から見た夏至の日の出がヒールストーンと重なっている写真を見た方がいるかもしれないが、
おそらく撮影ポイントは同じ位置でも視点の高さに違いがある。
サーセンサークル建造の初期の紀元前2500年に、観測車は祭壇石の脇に座って観測したのであろう。
現在の観測者は高さがそれよりも上にある位置から撮影したものと考えられる。
紀元前2500年の夏至の早朝から座って日の出を待ちヒールストーンの向こうの地平線に太陽が現れ、光芒に神秘さを感じたのであろう。
夏至の日の出の観測に、これほど拘り(こだわり)のある設計をするなら、夏至だけではなく冬至も観測したはずと考えた。
夏至の日の出の方位と、冬至の日の入りの方位
冬至の太陽をどこから観測するように設計したのか?
夏至の日の出の観測点と同じ場所から冬至の日の入りを観測した場合をシミュレーションで試行したが、この観測点からは観測が困難なことがわかった。
冬至の日の入りはどこから見えるのか?
それなら、夏至の場合とは逆にヒールストーンからサーセンサークルの中心方向に冬至の日の入りを見たらどうだろう。
シミュレーションを試みたが、観測点とは少し違う。そういえば、ヒールストーンは最初は2つ有ったという。
環状墓地の入口にあった2本の木柱が巨石に置き換わった。その1つがヒールストーンになった。
それならもう一つのヒールストーンがあったというあたりから見ればどうか。
ストーンヘンジの謎を天文シミュレーションで解く驚きの結果
- 夏至と同じ観測点では観測困難。
- 第2のヒールストーン跡から南西方向を観測することで、サーセンサークルの間隙の中央に冬至の日の入りの太陽が沈むのが見られた。
- 現在:サーセンサークルの間隙の中央から外れている。
ストーンヘンジ紀元前2500年の冬至の日の入り
失われた第2のヒールストーンの謎
もう一つあったという失われた第2のヒールストーン跡から見た冬至の日の入りを、シミュレーションで見た結果は予想通りであった。
第2のヒールストーン跡が冬至の観測点だった!
紀元前2500年の冬至の日の入りを観測したところ、サーセンサークル中央に見える石柱と石柱の間隙中央を太陽が通過することがわかった。
第2のヒールストーンは、その場所が冬至の観測点として障害になるので敢えてを排除したのかもしれない。
解析法はアナレンマ図にある!
著者はアナレンマ図を長年研究している。
アナレンマ図とは、地上の観測点から見た太陽の位置を、1年間毎日同じ時刻に記録したものをプロットした図だ。
8の字のような形をした曲線で描かれる太陽軌跡は、位置変化が視覚的に理解できる。
縦軸は太陽の赤緯で、横軸は視太陽と平均太陽の赤経の差、すなわち均時差で、
地球が太陽の周りを回る軌道が楕円形であることと、地軸が傾いていることによって生じる。
アナレンマ図に二十四節気の点を打ち、アナレンマ図を毎正時ごとに描くとじつに美しい規則的な早見図になる。
著者はこの図を使い、周囲の風景と重ねることで解析を行ってきた。
ストーンヘンジ紀元前2500年のアナレンマ早見図
ストーンヘンジは古代の巨大天文台だった!
詳細なシミュレーションの結果、ストーンヘンジは夏至と冬至の太陽観測に特化した、高度な技術を用いた古代遺跡であることが判明した。
ストーンヘンジは、夏至と冬至の太陽観測を可能とする高度な天文技術を用いて設計された天文台であった。
詳細な調査と研究によって、真実に迫りつつあるストーンヘンジの謎。その全貌が明らかになる日は来るのだろうか?
補足
このページは、論文とは別の切り口で編集したものです。
詳しい内容は
日本天文考古学会学会 J-AASJ誌5号に掲載された
論文「ストーンヘンジにおける 夏至と冬至のシミュレーション」を参照してください。
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