【星たび】 岩屋岩陰遺跡巨石群は1万2千年前の太陽軌跡アナレンマを示している。古代史の常識を覆す意外な事実が隠されていた。 星たび

巨石遺跡にアナレンマを見た

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▼金山巨石群 360°パノラマ (クリックすると動きます) 金山360
太陽が南南西24度33分,高度40度の角度に輝くときに、 金山巨石群の岩屋岩陰遺跡に射し込むスポット光は、洞窟内の岩面に当たる。 岩陰に射し込む陽光の謎解きに迫る点と線。 太陽軌跡アナレンマを天空に重ねたとき、古代史の常識を覆す意外な事実が隠されていた。

1万2千年前の証拠を探せ

J石南面 「巨石遺跡に天の川を見た」 で金山巨石群の一つの巨石が、1万2千年前の天の川を示唆していることを述べた。
このページでは、1万2千年前という年代を示す証拠が、金山巨石群のなかに他にも必ず有るはずだと考えて、その結果を報告する。 J石北西面 今回も金山巨石群のあの石から始まる。 巨石は調査委員会によって「J石」と名付けられた。 J石は東西5.5m、南北5.5m、地上高3.3m、地面下推定1.0m。平面形状は三角形に近い変形五角形。 J石は南面が35度の傾斜が付いていることで、北極星を示す巨石として案内されている。J石のおもての顔である。
J石東面 裏側は、古代1万2千年前の天の川、42度方向を示しているのだ。
仮に1万2千年前を示しているのがJ石ただ一つだけであれば、それは年代を示す証拠としては弱い。 古代の天の川の方向と偶然の一致である、といわれてもやむを得ない。
願わくは あと1つの証拠が欲しい。 もし、2つの偶然が重なると、もはや偶然とは言えない。必然となる。 年代を特定する証拠は必ず有ると考えた。
金山巨石群は、古代の太陽観測施設である。証拠を探す目標は太陽だ。 金山巨石群から太陽がどのように見えるか、それが知りたい。

金山巨石群からの見通し

金山巨石群の位置 金山巨石群は、飛騨川支流の間瀬川が北から南に流れる谷間に、東側から合流する渓流の傍らに位置している。 渓流の北側の南向き斜面に、岩屋岩陰遺跡巨石群と線刻石のある巨石群と、 その他の巨石が点在しており、離れて東の山の頂近くに東の山巨石群があり、合わせて金山巨石群を構成している。
天文観測は、常識的な考え方では見通しの良い場所を選択するはずだ。 太陽観測のロケーションで、特に重要なのは、子午線と東西線。それに夏至の日の出方向の夏至線、冬至の日没方向の冬至線である。
子午線は天頂を通る南北の大円のことで、太陽が子午線を通過するとき、太陽高度は最も高くなる。南中あるいは正中という。

金山巨石群の冬至春分夏至の太陽 金山巨石群の場合は、南も北も山に遮られて、決して良好な場所とは言えない。 なのになぜ、古代人はこの地を選択したのであろうか。選択した理由があるはずだ。
金山巨石群調査委員の小林由来氏によると、谷間の地形ではあるが東西の見通しは悪くはない。 巨石群には夏至の朝日が差し込み、冬至の夕日が見えるという。
金山巨石群全天:連続アナレンマ 現場に何度も足を運べばいいが、天文データはシミュレーションで可能だ。天文ソフトの「ステラナビゲータ」でシミュレーションをすることにした。
まず、360度パノラマ写真が必要だ。古代の天の川を示すJ石の上から、全周囲12枚の写真を撮影し、360度のパノラマ写真に合成した。 上の360度パノラマがそれだ。

「ステラナビゲータ」の風景画像に取り込み、太陽の動きをシミュレートした。 アナレンマの合成図を作画して確認する。 できたのが右の図だ。
この図からわかる特徴的なことは、冬至および冬至に近い日は、11時を過ぎてやっと陽があたる。 太陽観測目的でこの場所を選んだのであっても、直接太陽を確認できない冬の午前中は弱点だ。 だが、弱点を承知してもなお、この地に太陽観測施設を造った理由があるはずだ。

金山巨石群:夏至の日の出 金山巨石群日の出のアナレンマ 残念ながら日の出・日の入り方向が、立木が見通しを遮っていること。 このため、詳細な検討には写真を使用する考えを修正せざるを得ず、「カシミール3D」を使用して風景画像を作成し、アナレンマ図を合成した。 夏至の日の出の方向を、夏至線方向という。夏至の日の出は4時35分。太陽が山の上に現れるのは5時59分。このとき地平高度は14.6度である。 春分の日と比較すると、春分の日は地平高度は23.9度、7時58分。約2時間早く日差しが届く。
では、日の入りの場合の冬至線を見ると、太陽が山に隠れるのは16時09分。地平高度は、5.0度だ。 日没は16時43分だから日没34分前まで観測可能である。
金山巨石群日の入りのアナレンマ 金山巨石群日の入りのアナレンマ なるほど、南に山があっても、冬至に南中する太陽は確認できるし、夏至線方向も冬至線方向も谷筋方向にあたり、山はあるが見通しは良いといえる。

岩陰に光射すとき

岩屋岩陰遺跡巨石群 360度風景画像を撮影したのは、J石の上からである。J石から北へ約50mのところに岩屋岩陰遺跡巨石群がある。
岩屋岩陰遺跡巨石群は、J石から北へ50mに位置する。 3つの巨岩が組み合わさって、南向きの洞内空間を形成する。 西壁のG石と南東壁E石の巨石に北側から上屋F石が覆うように被る。
ここで注目すべきは、冬至前60日の日差しが射し込むときと、冬至後60日の日差しが射し込むときである。
1万2千年前の証拠示すのは、岩屋岩陰遺跡巨石群のスポット光にあった。 金山巨石群を構築した古代人は、もうひとつ年代の証拠を用意していた。
1万2千年前を示すのは、岩屋岩陰遺跡に射し込むスポット光である。 こういう仕掛けがあったとは、さすがご先祖さまである。謎解きをしていこう。

岩屋岩陰遺跡巨石群内部 南東壁E石と上屋F石の組み合わせに隙間があり、そこから太陽のスポット光が洞内に差し込む。
スポット光が測定石に当たるのは、春(2/28〜5/15頃)と秋(7/29頃〜10/14頃)で、 またスポット光がF石の突出部に重なるのは、2/20頃と10/23頃にみられる。 注目するのは、F石の突出部に重なるスポット光だ。

岩屋岩陰遺跡巨石群の突出部 岩屋岩陰遺跡巨石群のE石とF石の隙間から内部に射し込む太陽光は、 空洞奥の幅30cm程のF石突出部に、1年の一定の日時に重なる。
太陽は1年周期の運行で光の射し込む高度が変化し、突出部に当たるのは太陽高度が一致する日になる。その日は、10月23日頃と2月20日頃の年2回だ。 時刻は、10月23日が12時52分頃、2月20日が13時21分頃で、 そのときの太陽の方位は、南南西のS24度33分W方向、高度は約40度だ。(金山巨石群調査資料室2004.1)

太陽光が突出部に当たる10月23日頃から冬至を経て翌年2月20日頃までが、太陽高度が低くなる期間で、巨石群の内部に冬の日差しが射し込む。
その間、10月23日から冬至をはさんで2月20日頃までが1年のおよそ3分の1の120日間。正確には119日間だ。

公転軌道と冬至を挟んで黄経60度 119日間というのは、10月23日から冬至の12月22日までが60日、12月22日から翌年2月20日までが59日である。 1年の3分の1であれば、121日か122日となるが、これは黄道経度を考えれば良い。
10月23日は太陽黄経210度で、2月20日は太陽黄経330度である。
即ち、冬至の12月22日太陽黄経270度の、60度前が10月23日で、60度後が2月20日なのだ。
これを二十四節気でいえば、10月23日は「霜降」で、2月20日は「雨水」の日にあたる。
このことは、古代においても同様で、黄道経度が分かれば霜降の日と雨水の日に、太陽スポット光はF石の突出部に当たっていたはずだ。

二十四節気と地心距離

二十四節気2005年 二十四節気の暦法は、中国の戦国時代(前770年〜前221年)に成立している。 古代において、二十四節気という暦法は無いわけだが、その考え方は利用できる。 ステラナビゲータで、例えば1万2000年前(BC10000)の冬至の日は、BC10000/03/03という答えが返る。 ステラナビゲータは、1582/10/15以後はグレゴリオ暦を、以前はユリウス暦を採用している。 ユリウス暦では1年の長さが平均して11分程長くなるため、長期間では現在の季節と差がでる。 このため、太陽黄経を読んで二十四節気に置き換えれば季節と一致する。
現在の二十四節気は、黄経0度の春分を起点に黄経で均等配置になっている。 旧暦では、冬至のある月が11月と定めている。 したがって、二十四節気の冬至を基準にすれば季節感が分かりやすい。
冬は11月を中心に10月から12月、春は1月から3月、夏は4月から6月、秋は7月から9月。 ゆえに、中秋の名月は、秋の真ん中の8月15日ということだ。
現在の暦で、霜降は太陽黄経が210度、冬至が270度、雨水が330度だ。
霜降から冬至をはさんで雨水までの119日間は、黄経で120度、地球の公転軌道1周の3分の1である。 1年は365.2425日だから、1/3の121.7475日になるはずだが、そうならないのは、地球の公転軌道が楕円だから。
地心距離 地球の公転軌道は僅かに楕円(軌道離心率=0.01671)で、太陽は楕円の焦点の一つに位置している。 故に、地球は太陽に近づいたり遠ざかったりしており、近日点を通過するときに角速度が最も速く、 逆に遠日点を通過するとき角速度は最も遅く移動する。(ケプラーの第2法則)*1
したがって二十四節気の1間隔の黄経15度を移動する日数は、現在は近日点に近い冬至で短く、遠日点に近い夏至のころに長くなる。

現在の地球軌道と二十四節気 また、太陽に対して地球の自転軸(地軸)の傾きの黄道傾角は23度26分で、地軸の方向は夏至と冬至に太陽を向き、春分と秋分には太陽と直角になる。 天球上において、春分と秋分は天の赤道と黄道は交差し、夏至と冬至には天の赤道から23度26分離れる。
天の赤道から南あるいは北に離れると、緯線の間隔は、赤道における緯線間隔より狭くなる。 赤道から離れると緯線の間隔が狭くなって同じ経度1度でも赤道で移動する角距離に比べ短い距離になる。 すなわち、春分と秋分は速く移動し、夏至と冬至には遅くなるように見えるわけだ。

アナレンマの8の字

アナレンマとは、同じ場所同じ時刻の太陽を、1年間重ね撮りをしたもので、8の字の形を描く。 AD2005年のアナレンマ アナレンマが8の字になり、8の字の上のマルと下のマルの大きさが違うのは、なぜか。
アナレンマが8の字を描くのは、地球の地軸が公転面(黄道)に対して傾斜していることと、 地球の公転が楕円軌道であることが要因だ。
楕円軌道のため、公転角速度が増減する。(ケプラーの第2法則)
自転速度が一定だが、真太陽日(太陽が南中してから翌日また南中するまでの時間)は、一定ではなく変動する。 ここに均時差が生じる。均時差というのは、真太陽時と平均太陽時の差が累積したものだ。 例えば9月半ばすぎには23時間59分38秒くらい、12月下旬には24時間30秒ほどの長さとなる。 平均太陽時とは、天の赤道を一定速度で移動すると想定した平均太陽日から導いた時刻系で、日常使っている時刻だ。
均時差の変動は、真太陽時が、2月半ばに約14分の遅れ、5月初旬に約4分早く、7月下旬に約6分の遅れ、11月初めに約16分早くなる。 これが、アナレンマの東西方向の動きである。
南北方向へは、夏至の6月下旬に北へ、冬至の12月下旬に南へ、それぞれ天の赤道から23度半振る太陽の動きとなる。
この赤道から離れることで、経度方向の距離が、 赤道の緯度0度の経線の長さ1.00に対して、緯度23度半の経線の長さは約0.92になる。 平均速度より速く動く春分秋分のときは、1日前の位置より少し西にを行き過ぎ、 平均速度より遅い動きの夏至冬至のときは、1日前の位置に到達せず東側に太陽が見えるということになる。
これらの効果が複合累積して、8の字の軌跡となるわけだ。 加えて楕円軌道の近日点の位置と、どこで春分点なり冬至点なりが位置するかで、アナレンマの形状が変化するのである。

アナレンマのクロッシングポイント 8の字の、冬至から夏至に向かうラインと、夏至から冬至に向かうラインは、どこかで交差する。 その点をクロッシングポイント(Crossing point of Analemma=CPA)という。
現在(AD2005)CPAは、秋分・秋分より夏至寄りの 4/12頃と8/31頃である。 8の字の形は歳差のため変化する。CPAの位置は移り変わることになる。

歳差とアナレンマ

歳差で変わる北極星 地球の地軸はコマの「首振り運動」と同じ歳差運動をしている。 現在の天の北極方向にはこぐま座ポラリスが北極星となっているが、4800年前頃はりゅう座のトゥバンが北極星であった。 回転軸の方向が変移するので、北極星に限らず天球全体が首振りをするので、天の川の方向も変わる。 42度方向が1万2千年前の天の川と知ったのも、歳差運動を追ったことによる。

では、歳差運動で太陽軌跡アナレンマは変化するのか。形が変わるのだ。
アナレンマの8の字の形は、現在は下が大きく上が小さいが、過去に遡ると、今とは違う形であった。 古代、1万2千年前のアナレンマは、逆に上が大きく下が小さい形状であった。
歳差で変わる南中時のアナレンマ 左の図は、アナレンマの変化をグラフにしたもので、南中時の値をとった。
地軸の傾きの方向は、歳差運動で約2万6千年周期で変動することから、過去2万6千年前から現在までの変化だ。
中央の横線が赤緯0で、上のピンクが夏至、下の青が冬至の太陽を赤緯で示している。 地軸の傾きは、4万1千年の周期で21.8度から24.5度まで変動するため僅かな変化がある。
アナレンマの8の字は、冬至から夏至に向かうラインと、夏至から冬至に向かうラインは、どこかで交差する。 アナレンマの交点を、クロッシングポイント(Crossing point of Analemma=CPA)と呼ぶ。 中央の曲線が、CPAで赤緯を示す。
BC700年頃、CPAは最も北に寄って、北が小さく南が大きい形のアナレンマであった。 約6000年前のBC4000年頃のアナレンマは上下の大きさが同じであった。 1万0500年前頃には南が小さく北が大きい形のアナレンマであった。 2万年余り前には、ほぼ現在と同じ形であった。

なぜか。
このあたりのこと、ミランコビッチの説が参考になる。 「ミランコビッチ説」は、地球の氷河期が周期的に繰り返すことを、地球自体の公転や自転、歳差運動、 地軸の傾斜角の周期変化に着目して説明した説である。
歳差運動で春分点は地球の公転方向と逆回りに移動している。冬至の位置も同じである。 CPAの変化は、歳差の他に、近日点の移動の影響がある。 近日点の移動は、公転軌道が他の惑星の影響を受けて緩やかに前進する。近日点前進の1周は11万4000年。 歳差運動と近日点前進の合成周期は、約2万1000年。
この周期が、CPAの赤緯が±10度の振幅で変化している、2万年余りの周期曲線となっている。

現在の冬至と近日点 冬至が近日点と一致すれば、冬の太陽軌跡は速く大きく動きアナレンマの冬側の丸は最大になる。 冬至が遠日点と一致すれば、太陽軌跡は緩やかに小さく動きアナレンマの冬側の丸は最小になる。
現在の近日点は冬至に近い。北半球から見るアナレンマは、下が大きく上が小さい。
BC9800年の冬至と近日点 古代、1万2千年前、冬至は遠日点に近く、近日点は夏至に近い。 描かれるアナレンマは、夏側が大きく冬側が小さい。北半球から見ると上が大きく下の丸が小さいのであった。

古代 岩陰のアナレンマ

BC4000年のアナレンマ アナレンマの形は、2万年余りの周期で変化するということは、アナレンマのCPAが、赤緯0度の時があった。 紀元前4000年、今から6千年前のことである。近日点は、秋分にあった。 この時、アナレンマの上下の丸の大きさは同じであった。美しい対称形のアナレンマをご覧いただこう。
紀元前4000年は、世界最古の文明のメソポタミア文明発祥の頃である。 チグリス・ユーフラテス川流域でシュメール人はアナレンマを知っていたのだろうか。

BC9800年のアナレンマ さらに時代を遡ると、アナレンマは上が大きく下が小さい形であった。現在の形とは逆転していた。 近日点が夏至と重なるのはBC9850年頃。この頃CPAは最南にあり南緯10度40分(BC9850/12/26とBC9850/5/6)あたりにあった。 天の川が42度方向に見えたというBC9800年頃と、見事に一致している。

歳差で変わる南中時のアナレンマ 岩屋岩陰遺跡巨石群のS24度33分W方向をCPAが通過するとき、CPAの地平高度を示したのが左のグラフである。
現在、CPAは高度60.9度を通過するが、過去に40度付近を通過するときがあった。 概ねBC10000年からBC8500年の間、今から1万2000年前から1万500年前のことだ。
シミュレーションをすると、BC9800年のアナレンマCPAは、 下りが冬至の65日前の前年12/26,13:33(地方平時)に方位24.55度(S24度33分W)に、高度39.74度を通過し、 上りが冬至の64日後5/3,13:33に方位24.55度を高度39.99度で通過する。
BC9800年13:25のアナレンマ この年の冬至は、2/28にあり、霜降は64日前の12/27、雨水は63日後の5/2で、霜降と雨水に僅か1日の差で接近しているのだ。 ちなみに霜降の12/27,13:35に39.26度、雨水5/2は13:35に40.65度に太陽は通過している。
夏至、霜降、雨水、再び夏至を並べると、黄経が90度、210度、330度、再び90度となって、間隔が120度ごとになる。 1年を3分の1ごとに分けられるこの日を、古代人は、太陽を観測することで知っていたはずだ。
だから、霜降と雨水の日に、地平高度40度を太陽が通過するという特別な日のスポット光が、 岩屋岩陰遺跡巨石群の石面突出部にあたるという設計をしたのであろうと思う。
加えて、今から1万2000年前から1万500年前の1500年間を示していることは、 J石北西面の42度方向が、1万2000年前の天の川の方向を示していることの自己追認である。

整理をしてみよう。約1万2千年前の、 BC9800年12月26日(霜降)13時25分(JST)と、BC9800年5月4日(雨水)13時25分(JST)に、太陽は方位S24度33分W高度40度に輝いている。 この時、スポット光が岩屋岩陰遺跡巨石群のF石の突出部に当たる。アナレンマの CPAに一致していたのである。

岩陰スポット光の謎

BC9800年の連続アナレンマ ここで、BC9800年の 9時から15時まで1時間毎のアナレンマ連続図を見て戴こう。 時刻系は、観測地における太陽の南中を12時とする地方平時とした。(=日本標準時+8.64分)
岩屋岩陰遺跡巨石群の石窟内に太陽光が射し込み、スポット光となって奥の巨石F石突出部の石面に当たるのは、 太陽が、南南西S24度33分W、地平高度40度に位置するときだけである。

スポット光の角度S24度33分W高度40度は、金山巨石群調査委員会の小林由来氏らの調査で測定された角度である。 この角度には重要な意味がある。金山巨石群を構築した古代人が、意識的に設計した角度である。

BC9800年13:25のアナレンマ 私の説は、これこそが、年代を示す記録である。
シミュレーションで歳差の現象を求めた結果、1万2000年前の天の川の方向が、巨石に記録されていることと、同じ意味を持つものと考える。 岩屋岩陰遺跡巨石群のスポット光も、その角度S24度33分W高度40度は、 アナレンマのCPAが歳差でこの時代にのみこの位置にあったということを示している証拠である。

まだ、重要なことがある。 なぜ岩屋岩陰遺跡巨石群のスポット光角度が、S24度33分W方向に向いているのか、ということだ。
それは、金山の古代人が、1時間という時間単位が分かっていたからだ。

J石からE石の先端が見える 説明しよう。金山巨石群において、春分の日は、太陽観測でわかる。 春分の日に太陽が南中する時もわかる。J石とE石の頂部を通る直線が子午線と一致していることによる。
南中はJ石と、E石の先端がなす角度が、子午線と一致する。 さて、春分の日、太陽が南中するときを12時00分(地方時)とすると、南中から1時間後に太陽はどこに来るか。
BC9800年13:25のアナレンマ アナレンマ連続図から、12時と13時のみを比較した図を見ると、 春分の日、太陽が南中時に真南の0度に位置して、1時間後に太陽の位置は、地平座標でS24度38分W方向になる。
調査委員会測定のS24度33分Wとは、0度5分の差である。 時間にして僅か12秒の差。測定誤差と言って良い値だ。

次に、アナレンマの交点CPAに注目していただくと、 岩屋岩陰遺跡巨石群のS24度33分W方向を、今から1万2000年前から1万500年前の1500年間において、CPAが通過している。
地平高度は約40度である。
このとき、岩屋岩陰遺跡巨石群の石窟内に太陽光が射し込み、スポット光となって奥の巨石F石突出部の石面に当たる。 古代人は、1時間を意識してS24度33分Wに方向を向けて巨石群築造をしている。 1日を24時間としているということであり、しかも正確に測定している。その証拠だと考えるべきだ。

岩に刻まれたアナレンマ

金山の古代人は、1日を24時間としていた。
彼らが「1時間」という時間の単位を認識していたことは、1日が24時間であることを前提にしている。
このことは、新たな謎が出てきた。 1日を24時間とする時間単位のもとを作ったのは、古代エジプト人で、紀元前5000年ころとされている。 金山巨石群が1万2千年前の遺跡とすれば、紀元前1万年の、1万2千年前に既に24時間制を使っていたことになる。 歴史の常識が覆されるかもしれない重要なことだ。
J石 言い換えれば、時刻を測る方法があったことになる。
それならば、アナレンマを知っていても不思議ではない。アナレンマ観測には、正確な時刻を知ることが不可欠であるからだ。

証拠がある。金山巨石群の中に、岩に彫られたアナレンマがある。
もう一度J石に戻ろう。1万2千年前の天の川方向を示す巨石だ。 J石に彫られた 薄くではあるが、横向きのアナレンマが浮き彫りになっているのがおわかりだろうか。
∞(無限大)の形は、東から昇る太陽とするなら夜明けのアナレンマと思う。

アナレンマを知っているということは、時刻を計測することを知っていることになる。 正確な時刻がわからずして、アナレンマを知ることは不可能である。
では、もし時刻を知ることができたら、わかることがある。 観測場所の、経度を知ることができる。 つまり、地図を作ることができる。
観測地の、緯度は比較的簡単に測れるが、経度は正確な時刻が必要になる。 経度を知ることで、観測点を基準として周囲の地図を描き、別の観測点で同様に描く。理論的には世界地図を作ることができる。
地球が球体であることを知っており、ひいては地動説を知っていたのではないでろうか。

もし1万2千年前とすれば、それはどんな時代だったのだろう。
ヤンガードライアス事件とか、古代の地球温暖化とか、そういう話は、またの機会としておきましょう。

岩屋岩陰遺跡巨石群 岩屋岩陰遺跡巨石群
▲ 岩屋岩陰遺跡巨石群

金山巨石群

日本の考古天文学と巨石群  『金山巨石群と太陽暦』
主要観測ポイント(案内図/印刷用)pdf:403KB
金山巨石群の公式サイト(C)金山巨石群調査資料室

金山巨石群の周囲

2万5千分1地形図名:下呂(南西)
地図閲覧サービス(試験公開) 533751 png:(C)国土地理院
岩屋ダム管理所
独立行政法人 水資源機構
Lake Kanayama
岩屋ダム・金山湖360度パノラマ
DIGITAL CAMERA PHOTO GALLERY
道の温泉駅 かれん
飛騨の南玄関口 元気印のかれんです

天文ソフト&風景CG

ステラナビゲータ Ver.7
天文シミュレーションソフト(AstroArts)
カシミール3D
風景CGと地図とGPSのページ/フリーソフトウェア

金山巨石群の岩屋岩陰遺跡

冬至をはさんだ約120日間の観測
「遺跡内に射し込むスポット状の光」を解説するページ

二十四節気

二十四節気
Wikipedia
二十四節気・解説
暦のページ
太陽の黄経と地心距離
ザ・ランス

アナレンマ

Solar Image Gallery - Analemma
アナレンマ写真の一覧
記録し続ける努力が描いた完璧なアナレンマ 2005/01/23
今日の宇宙画像  太陽、地球 惑星テラ見聞録

ケプラーの法則

ケプラーの法則
物理教育ネットワーク NEP

歳差

歳差,章動
測地学テキスト

ミランコビッチ説

ミランコビッチ説
赤い惑星>暦と星のお話
ミランコビッチサイクル
広島大学地球惑星システム学科狩野研究室
歳差周期26000年とミランコビッチ周期100000年について
地学教室
歳差周期26000年とミランコビッチ周期100000年について
問答161
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