【星たび】 金山巨石群の巨石に示されていたのは、今から1万2千年前の "古代の天の川"だった。42度の謎を追うレポート。 | ![]() |
巨石遺跡に天の川を見た |
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■ 飛騨金山〜古代の天の川を示す金山巨石群飛騨金山、岐阜県下呂市金山町岩瀬の金山巨石群。古代の天文台に間違いないとされる巨岩遺跡だ。 巨石群は3個所に分けられるものの、東の山巨石群は離れた場所にあり、岩屋岩蔭遺跡巨石群と線刻石のある巨石群がほぼ100m範囲内にある。 本稿は、岩屋岩蔭・線刻石群にある一つの岩に着目するもので、その岩の大きさは約5.5×5.5m、地上高3.0m。 重量は60トンを越えると思われるが、他の巨石に比べると大きいものではなく、南側からみると三角形、北からみると円弧の形をしている。
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外部参考リンク
金山巨石群
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1.岩が示す方位〜レイライン1-1.岩の表と裏1-1-1.春分正中の太陽岩の南側は三角形で、磨いたように平面となって、南に向かって水平から約35度の斜面になっている。つまり、春分と秋分の日の太陽が正中する時に正対した面になっている。 言い換えれば、地球の地軸に平行でもあり、延長すれば天の北極、現在の北極星を指しているわけだ。 然もこの岩から真北に、岩屋岩陰巨石群の東端に接することも計算されているようだ。 1-1-2.南西−北東、子午線から42度
岩の南側を表とすれば、裏側はアーク(円弧)形、面は直立し、平面方向は南西から北東に5m、殆ど直線になっている。方向は、南北の子午線から右42度だ。 1-1-3.天文観測はなぜこの場所に巨石群の場所は、間瀬川支流の谷間斜面に在り、天文台の場所としては見通しの悪さに疑問を持たざるを得ない。 偶々この場所に巨石が在ってそれを利用して日時計とした。と考えるには、示される造作の正確さ故、納得がいかない。 この場所に天文観測施設を造ったどのような必然性があるのだろうか。 42度の方向についても然りだ。42度の方向の意味するところは何か。42度の方向が先に決まっていて、天文観測の場所にしたのではないだろうか。 1-1-4.42度の考察
42度自体に意味があるのだろうか。 1-2.42度方向の位置1-2-1.42度の方向
広域地図に42度方向の直線を引いた。予感した場所を通ることが判った。奈良県の大和盆地だ。180キロメートル先に大和三山がある。
耳成山の北から西を通過する。それからさらに100キロメートルで紀伊半島西端の「日ノ御埼」に至る。 1-2-2.日ノ御埼〜金山巨石群のレイライン
紀伊半島日ノ御埼、大和盆地。それに金山巨石群が一直線に並ぶことから、これはレイラインではないかと考えた。 1-2-3.ボーデの法則と小惑星
太陽系の惑星の公転距離が計算で求められるという経験則がある。
ドイツのティティウスが1766年に考案して、その後1772年にドイツのJ.E.ボーデが公表したのが「ティティウス=ボーデの法則」だ。
1781年にイギリスのハーシェルが天王星を発見し、ボーデの法則が当てはまったことから注目をあびることになった。
そのあと、火星と木星の間に計算では有るはずの惑星が見つからないことから、探し回った末に、
小惑星第1号のケレスが発見されたのは1801年1月1日であった。発見者はイタリアの G.ピアッツィ。小惑星はボーデの法則の位置に見つかった。
その後ボーデの法則は、海王星,冥王星については法則が当てはまらないことで、経験則という位置づけになった。
1-2-4.金山巨石群は小惑星の位置
太陽系、惑星の軌道距離を比例で、紀伊半島日ノ御埼(和歌山県)、仮に太陽を置く。大和盆地、鏡作神社(奈良県田原本町)に地球を置く。
その距離に比例して、火星と木星の間にある小惑星に相当する位置に相当するのが金山巨石群だ。
1-2-5.42度方向の延長線
では、この先はどうか。
金山巨石群から先、42度方向には乗鞍岳がある。長野県を通り新潟県に入る。
木星の位置は新潟県守門村の守門神社。ここまですべてに神社がある。
山形県から宮城県、岩手県平泉を経て宮古で太平洋に出る。
土星は岩手県の東方海上になるが、距離でいえば青森県下北半島の尻屋崎に相当する。
地図上だけのことではあるが、いかがだろうか。神社は偶然だよと言われればそれまでだが。
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42度について
大和盆地
日ノ御埼
レイライン
ボーデの法則・小惑星
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2.岩が示す方位〜天の川2-1.星空に示された42度方向2-1-1.天の川の方向金山巨石群の三角岩の面に遺された、南西−北東方向、42度のラインの本来意味するところは何か。 夏至線とか冬至線といった日の出日の入りに関わるラインとは全く異にする。 42度のヒントは夜空にあった。天の川だ。 現在、夏の天の川が天頂を通るとき、天の川の中心線は、南西−北東方向の34度方向にある。 古代において、天の川は、42度の方向を向いていたときがあるはずだ。それは歳差のためである。 2-1-2.歳差で天の川は
地球の自転軸は約2万6000年をかけて自転軸を移動回転している。歳差という。
地軸のいわゆる"みそすり運動"で、北極星が移行していくことが知られている。
今の北極星の位置に1万2000年後には織り姫星ベガが位置する。
2-1-3.1万2000年前の「天の川」
2-1-4.1万2000年前の大変動
1万2000年前というのはどのような時代だったのか。
地質年代では、約1万2,000年前に最後の氷河期(ウルム氷期)が終わって温暖な気候になり、海面が上昇した。
日本では晩期旧石器時代から縄文時代草創期に移り、土器が使われるようになる。 2-2.古代の天の川2-2-1.42度は天の川の方位だった
古代の天の川はどのような姿をしていたのだろうか。
星空を天文ソフトのステラナビゲータで再現した。 2-2-2.天の川の観望ポイント
天の川を見るとき、古今東西を問わず必ず目の留まるポイントがある。
まず、S形に連なる星と赤い1等星アンタレスのさそり座だ。その隣の いて座は南斗六星が目印となる。
光害の無い満天の星空なら、このあたりの天の川が幅の広く濃淡が際だち、条件さえ良ければ肉眼でも星雲星団の位置がわかるはずで、このあたりが銀河系の中心。 2-3.2万6000年後へのタイムカプセル2-3-1.星空に現れた三種の神器
これより、文章が"ですます調"になることをお許し戴きます。 2-3-2.古代人のメッセージ
仮説というか推論です。 |
歳差
1万2000年前
天文シミュレーション
星座
三種の神器
地球史
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